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63話 振り返らぬ背に残された愛

last update Dernière mise à jour: 2025-10-24 15:30:01

 反射的に振り向きそうになった。

 だが、その瞬間、鋭く低い声が背後から響く。

「……絶対に振り返るな」

 重みを帯びた言葉は鋭く心臓を突き刺し、レックスは息を呑んだ。

 聞き覚えのある声だった。否、五百年という途方もない時を経た今も、決して聞き間違えるはずがない。

 ──アプフェル。ミッテ。

 どうして彼女たちの声がここに響くのか。

 ファオルは言っていた。同じ魂を持っていても、かつての記憶は残らないはずだと。ならば、いま耳にした声は幻聴か、それとも最後の奇跡なのか。

 考えるより早く、視界はじわりと霞み、眦が焼けつくように熱を帯びる。

 涙を堪えることなど、もうできなかった。

「……フェリクス。ありがとう」

 震えを含んだアプフェルの声が告げるのは、ただの感謝。

 わざわざ、それを伝えるためだけに来たのか。あまりに酷い。会いたくて仕方がなかったのに、振り向くことは許されないのだから。

 それでも──。

 あのときの自分は、ただ仕える者として当然のことをしただけだ。

 返す言葉も見つからず、レックスは黙って小さく頷いた。

「聖者……いいえ、生者として生きなさい。必ず、必ず……幸せになると約束しなさい」

 それは主人からの、最後の命令。

 アプフェルがそう言い添えた直後、背中越しに暖かな気配が二つ重なった。

 振り向いてはならない。

 それでも、視界の端に映った影は、確かに茜色と黄金。アプフェルとミッテの面影が、涙に霞んで揺れていた。

 頬を伝う雫の熱が煩わしくて、レックスは慌てて腕で拭った。

 それでも涙は止まらない。

「生きるに決まってんだろ! ……ミッテ、ボクに言ったじゃないか。生への執着を忘れるなって。たとえ一片でも希望になるからって……! 一度は投げ出そうとしたけど……でも、ボクはあの約束を守れただろ!」

 嗚咽に押されるように声が迸った瞬間、荒々しくも優しい手が頭に触れた。

 乱雑に髪を撫でる感触。大きく、温かな手。

 ──あの頃もそうだった
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